思い込もうとすることの危険
スピリチュアルが好きな人がブログなどで、”全てが愛である”などと投稿しているのを見かけます。
本当に”全てが愛である”とわかっている状態である時、「素晴らしいこと」という判断の次元を超え、ただただ”感謝”や”愛おしさ”と共にあるのかもしれません。
しかし、本当は思えていないのに、全てが愛だからと、表だけ思うように努力することは、自分の知らないうちに自己否定を強めてしまう状況になっていきます。
それがスピリチュアルに惹かれていくことの危険(自分を持っていれば別)とも言えます。
例えば、自分にとって何か嫌な出来事が起きたとします。
実は、その出来事を嫌な出来事であると判断した時点で”全てが愛である”ことをわかっている状態ではないともいえます。
嫌な出来事が起きたと感じた時、嫌な出来事だと判断した自分をゆっくり丁寧に見つめてみると、全てが愛であるとは捉えられていない自分に気づき、その気づきが、全てが愛であることに気づくきっかけになるかもしれません。
きっかけをつかむことこそが大事な部分ですが、そのきっかけをつかまずに、嫌な出来事だと判断し、そんな自分を無視し、ただただ言葉だけで”愛である”と思い込もうとしているなら、望む方向とは逆に作用してしまうかもしれません。
瞬間的に起こる潜在意識の決定にも介入できるカウンセリング
何か出来事が起きた時にそれを嫌だと捉えたり、避けたいと思ったり、それを好きだと捉えたり、ありがたいと捉えるかは、思考ではなく瞬間的に潜在意識が決定しています。
潜在意識の中に、起きることを”ネガティブに捉える何か”が残っていれば、瞬間的にそれをネガティブに感じてしまいます。
そのような状態で、どんなに「前向きに考えなきゃ」、「全ては愛だと思わなきゃ」と思っても、逆効果になってしまうかもしれません。
自分のなかに残るネガティブに捉える元を見ずに、それを「○○しなければ」と抑え込むことは、自分の一面を否定し続けることになり、自己否定に繋がり、知らないうちに体を蝕んでしまうかもしれません。
体が蝕まれるという体験のなかで、大事なことに気づき、愛とはどのようなことなのかをわかることもできますし、カウンセリングで、その元の部分を解消していくこともできます。
どちらにしても自分と向き合う時間
私は、スピリチュアルを否定したいわけではありません。ただ、表だけを綺麗な表現で固めるだけでなく、いつの日か抑え込んでしまった自分と向き合うことも選択の一つだと伝えたいだけです。
潜在意識にある自分の嫌な一面にも責任をとって、認めることは大変重要です。
カウンセリングで潜在意識の中の悩みを引き起こしている原因を解消して、自分が本当にやりたいことをガンガン進めることも、
表を綺麗な表現で固めて、今までと同じ行動パターンのままで居続けることも、実は自分が選んでいます。
きっとどのようなことを選んでも自分にとっては正解。
どのような選択も自分と向き合う時間であり、愛であるともいえます。
自分の人生はその瞬間に自分がいつも決めているのです。
どんな自分でこの瞬間を生きますか?
その自分の人生を生きるきっかけとして、私のカウンセリングを望むなら、いつでもお手伝いさせて下さい。
どうか綺麗な言葉の裏にある隠れた自分の想いに蓋をしたまま、スピリチュアルの罠にひっかからないように!