自分がどこにエネルギーを使っているのかを考えてみる

戦争、虐待、いじめ、犯罪、妬み、恨みがまだ存在しているこの世界。

それを存在させているのは、本当にそれを実行している人だけの責任なのだろうか?

そのことを批判したり、そのことを間違いだと指摘するその気持ちには、それ(戦争や虐待やいじめ)に似た怒りや不満や間違いを正したいという気持ちが存在しているようにも思える。

そして、批判や押し付けは、一体何を生み出しているのだろうか?

果たして、そこに穏やかな世界は感じられるだろうか?

自分がどんな世界に住んでいたいのかを考えると、批判や押し付けの世界ではなさそうに思える。

自分がどこにエネルギーを使っているのかを客観的にみると、批判や押し付けに使うこともできるが、他のことへも使うことができる。

エネルギーの投入先は、毎回、自分で選択しているのである。それこそが自分の世界をつくっているともいえる。

私たちが住みたい世界に住むには、批判することでも、逃げることでもなく、自分自身がどのような自分であるのかを考え、それにふさわしい行動を実践することしかできないのではないだろうか?

この世界を更により良いものにするために活動している人

戦争や虐待、いじめのあるこの世界を更に良い世界にするために活動している人は、今の世界に不満を漏らすわけでも、批判するわけでもなく、

ただ自分のやりたいことだけに思考や言葉を使い、本当に自分のやりたいことだけにエネルギーを注いでいる。

その自分の決めた使命に命をかけ、前だけしか見ていない。

他人に何をいわれようと、それはどうでもいいというスタンスで、自分であることを曲げない。

それだけ自分を深い部分で信頼している。

その深い部分での自分への信頼こそが、実は世界すべてを信頼していることになる。(それがなぜかの細かい説明は省略)

だから、芸術家であっても、治療家であっても、誰に馬鹿にされてもどんなリスクがあっても自己表現を貫く。

自分への強烈な信頼を感じる芸術家との出会い

私は最近、あることをきっかけに、荒川修作氏という建築/芸術家と出会った。荒川氏のことを調べていると、彼の心の中にある自分への強烈な信頼を感じ、心が痺れた。

彼の残したメッセージは言葉の表面だけをみると他人を傷つけ、批判したり、馬鹿にしているようにも見える。

しかし、彼が本当に深いレベルでの自分への信頼が強いからか、人類への無限の愛の形にしか私には見えない。

彼は、芸術を通して「美しさは一般的なルールが決めるのではなく、個人が自由に決めるものだ」「他人の目なんか気にせず、自分の好きなように生きろ!」というメッセージを伝えたかったのではないだろうか。

彼が残した人類への功績は”気づく人だけが気づく”と、もしかしたら彼自身も思っていたのではないだろうか。

「俺をどう感じるのかも、自由だ!」ということ、、、

それが彼が命をかけて伝えたかったことなのかもしれない。

もうお亡くなりになっているが荒川修作氏の残してくれた作品にこれから少しでも触れていきたいと思う。

最近、芸術から学ぶ「心」は本当に多い。