依存と聞くと、あまりよくないイメージを持たれる方が多いかもしれません。
依存と聞くと自分を見失っているというイメージを持たれる方もいます。
「私は依存なんて女々しいことするわけない」といいながら、他人に甘えることや頼ることをしない人もいます(※1)。
そして、「依存することは良くないとわかっているのに、どうしても甘えたり、依存的になっている自分をやめられない」と思っている人もいます(※2)。
依存に対して否定的で悪者にしているのが前者(※1)で、依存している自分を否定しているのが後者(※2)です。
どちらにしても、依存というものに囚われているために、依存というものがあたかも存在しているような世界にいます。
コーチやカウンセラーの仕事をしていると、よく出てくる話題に、「依存させないようにしなきゃ」とか「依存してくるクライアントは断らなきゃ」などがあったりします。
こういってしまう背景には、「依存させたらクライアントさんは自立できない」「依存してくる人は、カウンセリング受けても効果がない」という前提が隠れていたりします。
私も依存というものを悪者にして、このような意見に同調していた時期もありました。
今の私は、「仮に最初は依存的に見えても、必ず自立していく」、「そもそも依存は手段の一部であって本当の姿ではない」、「そもそも依存なんてものは存在しないのに存在するように扱う必要がない」という前提があるため、「依存している」と誰かにいわれたり、「依存する自分を何とかしなきゃ」と思っている方も含めて、あらゆる人がセッションの対象となります。
そもそも、依存というものを問題にしません。
カウンセリングをやっていくと、依存より、もっと大きな目的や本当の望みがちゃんと出てきます。
そちらにフォーカスを当てて、会話の中から脳内の思考パターンなどを分析しながら、原因を特定して解消していきます。
依存に対して、悪いものだという意味づけがあれば、自己否定につながり、癌や認知症を含めたあらゆる病気を発症してしまうきっかけになったりもします。
「依存なんて変えられない」
「性格なんて変えられない」
「がんなんて言葉で消せるわけがない」
「認知症がやめられるわけはない」
など、人は変えられるものを変えられないと思い続けたりもします。
変えられるか変えられないかは、自分が考えている信じ込みの影響が強いということをを知るか知らないかと変わってくると思います。
そして、本当は影響が強いというレベルを超えて、信じ込みが全ての現実を創っているということが、量子物理学の世界でも、多くの神話や宗教、偉人たちの名言などからわかります(複雑になっていくのでここでは省略)。
これを体験を味わった中で知っているのと、知らないのとはでは全然世の中に起きてくる現実が変わってきます。
自分の中には最高な可能性があるという事実を丁寧に心の奥に伝えていくことも私の役割のひとつなのだと思います。