無意識に選択した「爆笑」という言葉をきっかけに展開したこと
先日、大学時代の先輩(ビジネスマン)にある相談をした。
私にはない先輩の世界の話をこれでもか!ってほどの“情熱”と“信頼”を持って、色々と教えてくれた。
その先輩からのメッセージから私のことを深く理解してくれているのが伝わってきた。
私はそのことがとても嬉しかったにも関わらず、その先輩の表現があまりにも個性的で面白かったので、「爆笑」という表現を私の無意識は選択した。
私の中では無意識に使った一言だったが、そこでメッセージのやりとりは終わった。
(先輩は、ただ忙しかっただけかもしれないし、話がちょうど終わっただけだったかもしれなかった)
しかし、私の心は、何かが引っかかりを感じていた。
「“爆笑”って言葉が何か馬鹿にしたように感じさせたのでは?」
「いやいやそんなマイナスに捉える先輩ではない」など様々な思考が行ったり来たりした。
その心の中でのモヤモヤを、私は結構長いこと感じていた。
「このモヤモヤが自分に教えてくれるものは何か?」
「何か意味があってわざわざそのような言葉を使ったはずだ」と考えながら、「今の自分の素直な気持ちは何だろう?」と整理してみた。
心に引っかかるモヤモヤから次の行動につなげていく
その先輩が「爆笑」という表現をどう解釈したのか?について、私の世界では予想・妄想の世界でしかなかった。
それなら、予想・妄想という考えても答えの出ないことにモヤモヤする(エネルギーを消費する)ことを選び続けるのではなく、自分はどうしたいのか?を行動に移すことを決めた。それは、その時の自分のそのままの気持ちに素直になることだった。
その時の気持ちとは、「自分の本当の思いを添えて謝りたい」というもの。私の中ではモヤモヤの状況を選び続けたり、モヤモヤを感じているにも関わらず「ないものにする」ことよりも、それが心地よい選択だった。
そのため、その「爆笑」という言葉を使った理由やその奥にあった思いを添えてこう謝った。
「先ほどの爆笑についてですが、もしかしたら何も気にしていないかもしれませんが・・・」
そしたら、こんな答えが返ってきた。
熱い先輩からのメッセージ
全く、気にしてない。
松木は、俺の事を良く分かってる。
「何も思っていない」笑笑
でも松木が、誤りたいなら受け止める。
しかし、本当に「何も思っていない」 だから、「謝らなければいけない」とは、もう考えないほうが良い。時間がもったいない。
それよりも、セミナー設計、時間、社会へ自らが与えるべき影響、自身の『人生の最終形』を考える時間に頭を使ったほうが良い。
現時点で『人生の完成形』を明確化させても、生きる目的が磨かれていくので、その完成形はすぐに陳腐化される。
また、時間が経ってもその『人生の完成形』が陳腐化されず、変わらなければ、今の自分自身が陳腐化している。 人生、恐ろしい。
そして、松木とのやり取りで、俺自身の頭がシンプルに整理されていることを実感するし、俺自身の中に、新しい文言、文脈も生まれた。 ありがとう。
俺たちは、大切だったり、そうでなかったりとたくさんで色んな人がいる中で、その人が想うまた違う大切な人への想いというたくさんある大切な想いの中を、生きている。 それを、手触り感が残るくらい、まるで動画のように、知る事。 そして、俺は、その想いに裏切らない生き方を選びたい。 それだけだ。
ただただ、1日1日、大切にする。 昨日考えなかったこと、気づかなかったことを探す日々を過ごすだけ。
自分の気持ちに素直になることが教えてくれたことはこれだった
モヤモヤをそのままにせず、「自分の感情は何を知らせてくれているのか?」「本当の思いはなんなのか?」「それを行動化することでどのような気づきがあるのか?」と自分を信頼し選んだ先には、先輩が日々大切にしているものと、先輩が私を大切にしてくれている思いをさらに強く受け取ることが待っていた。
この先輩の言葉を聞いて、久しぶりに「マジでかっこいい!!」と思った。
そして、この言葉を聞くための私の中のモヤモヤだったのだと確信した。
どんな道を進んでいる人でも、日々を徹底的に大事にしながら、自分の存在価値を追求している人の言葉には本当の力がある。
このメッセージには病気をやめるためのヒントが満載である。
長くなるので説明は省略するが理屈でなくとも大切なことが伝わる文章だと思う。
私たちは完璧になろうとするより、ただ素直になればいい。
そして、何を学んでいるのかなんて関係ない。
今この瞬間からただ自分を知るだけなのかもしれない!