確かに、病気をやめるためにも、本当の自分の人生を生ききるためにも、「生きる目的を見つけること」は大変重要な要素だろう。

ただ、今、何かの重い病気でいたとして、本当に生きる目的が明確にわかることだけが正解なのだろうか?

人にも、人生にも、あらゆる状況にも、段階や順番やタイミングがあり、

自分だけの道があるのではないか?

今、その状況になっていることにも、きっと何か大切な意味があるのだろう。

そして、今その状況になって初めて、大切なことに気づくためなのかもしれない。

そして、今その状況だからこそ、自分に対して、誰かに対して、新たな解釈を持つこともできるだろう。

今までの人生において、自分のことを自分でどう思っているのか?

自分のことを「俺は価値がない」「俺は愛される存在ではない」「こんな自分はダメだ」などと自己否定していないだろうか?

誰かに対して、許せていない感情が残っていないだろうか?命がけでその許さない感情を守り続けていないか?

「医者が教える人が死ぬ時に後悔する34のリスト」川嶋朗先生の本にも

「人を恨み続けてしまった」と怒りに対する後悔もあれば、

「生きているうちにごめんなさいが言えなかった」という罪悪感手放せなかったというものもある。

そして、「愛してると言えなかった」と愛や感謝の気持ち伝えられなかったこともリストでは紹介されている。

最後の最後で、このことに気づいて実践する人もいれば、

今、この瞬間から実践する人もいる。

もし、一人ではできないならば、誰かに頼ってもいいだろう。

私も病気をやめる・やめさせるお手伝いをするカウンセラーとして、このことは一つの大きな役割であると思っている。

人は、誰でも、どんな状態でも、死に向かって進んでいる。

どんなに重篤な状態でも何年も生き続ける人もいれば、どんなに元気な人でも何かの原因ですぐに最後の時を迎えてしまうこともある。

つまり、本当の真実は、この瞬間生きていることしかない

その「今」というこの瞬間に何を信じ何を想いどんな行動をするのかを積み重ねることしか私たちにはできないのかもしれない。

そして、今この瞬間に気づいた大切なことに、丁寧に行動していくことができてはじめて、

生きる目的がぼんやり見えてきたり、進んだ先に何かをきっかけに明確になる人もいるだろう。

生きる目的を見つけるまで何も行動できないとしたら、果たして本当に「生きる目的」を見つけられるだろうか?

生きる目的を見つけられない自分を自己否定して、行動をやめることで、本当に生きる目的が見つけられるだろうか?

「生きる目的を見つけなければいけない」と苦しむよりも、「生きる目的が明確になるために」今、この瞬間に何を感じ、本当は何をしたいのか?という気持ちに素直に生き、他人の人生ではなく、自分の人生を精一杯悔いなく生ききることが大切なのではないかと思う。

そのために私が必要で私に頼ってきてくださった方には、私のできる最大限のお手伝いはしたいと思う。