表現とその奥にある本当の想いは別物

 

歯車

多くの方から共感を得られるような素晴らしい内容を知識として表現することは、多くの人がすでにやっている。

そして、自分が「ここはしっかり見せたい」と意識した場面で、他人からそう見られたい自分を表現することもそんなに難しくない。
 
ただ、日常となると話は別だ。
他人からこう見られたい自分というのは、”そう見られてはいけない”という不安や悩みという背景から起きていることもある。
もし、そうだとしたら、日常のあらゆる場面で人を感動させるような最高の自分でいられる人はそう多くはないだろう。
 
素晴らしい内容を話したり、書いたりできるのに、実際の日常ではそうできない人もいる。
日常でそうできる人には、一体何があるのだろうか?
 
それは、その時の感情に飲み込まれることなく、その出来事をただ客観的に見ているのか?
 
そして、あらゆることから他人のせいではなく自分の原因として、自分の心の奥からどう見つけることができるのか?
 

日常でもそのままの最高の自分でいられるには、そのように自分の内面と丁寧に向き合っていくだけなのかもしれない。

そういう視点で見ていくと、自分は一体どのような人と関わっていきたいのか?

問題を解消するために、どんなカウンセラーやコーチにお願いするのかも見えてくるのかもしれない。
どちらにしても、言葉も大事だが、言葉を使っている自分がその言葉に対して、どう思っているのか?も重要なのかもしれない。

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