私たちは、ふと急に何かをしたくなることがあります。
そのふと何かをしたくなったことをしてみると、思いもよらない体験を作り出すことがあります。
今回の体験は、まさに奇跡とも思えるような体験でした。
30年も気づいていなかった小学校の先生の愛に今気づくことになるとは。
年末にふと、小学校時代の日記を読み返してみたくなった。
その日記は、当時の担任の先生との交換日記のようでもあった。
その担任の先生とのやりとりが、
とても楽しくて、
毎日続けていたことを思い出した。
そして、
どんなことを自分が書いていたのか、
先生はそこに何を書いてくれていたのか、
ワクワクしながら、丁寧に見てみた。
そこには、
当時の自分の未熟さ(=可愛らしさ)や、
担任の先生の僕への想いが、
たくさん綴られていた。
僕が誰かの悪口を言っても、
先生は、その誰かを悪者にすることなく、
僕も悪者にすることもなく、
ただ受け止めてくれた。
僕がやろうと思った通りにできなくても、
先生は、そのやろうと思った思いを
大切にしてくれた。
何十年も経って、
そんなことは忘れていた。
というか、
気づいていなかった。
でも、今の自分が見返して見ると、
その担任の先生のおかげで、
今の僕がいると思えるほど、
強い影響を受けているのがわかった。
その担任の先生との2年間のやりとりで、
たくさんことを学ばせてもらった。
人をどう大切にするのか、
自分とどう向き合うのか、
自分らしさとは何か、
自分をどう自由に表現するのか、
今をどう大切にするのか、
誰に支えられて生きているのか、
その先生がそれまで出会ってきた
全ての方から繋げてもらった愛を、
僕に、丁寧に、根気よく、
繋げてくれていたことをはじめて受け取った。
年賀状で、
「先生にどうしても会いたい」という
メッセージと共に
電話番号を書いた。
すると、電話がかかってきた。
そして、
約30年ぶりに4月に福岡で会う約束をした。
LINEでも繋がり、
少しだけやりとりをした。
そして、
やりとりの中で、
「先生が受け取ってきた愛を
僕に繋げてくれてありがとう!
僕もたくさんの人に繋げていくね!!」と返した。
すると、
こんな返信が返ってきた。
ーーーーー
ああ、何て嬉しいこと!
私は今、涙が止まりません
しばらく、この喜びを味わわせて下さい。
ありがとう
ありがとう
ありがとう
ありがとうを100万回、言わせて下さい。
ありがとう😊
沢山の人々が愛で繋がれるのが、
私の魂の願いでした。
私の願いをつなぐ生き方を受け取って頂いて、
私は寛くんと出会えて嬉しいです😂
ーーーーー
そして、
こう返信した。
ーーーーー
先生が今まで与えてくれたこと、
そして今、受け取ってくれたことを
僕も今たっぷりと涙を流しながら、
味わわせてもらったよ。
先生の願いと僕も同じ気持ちです。
日常に起きてくることや、
目の前の人との関係の中で、
自分と向き合い、
自分の中の純粋な愛に目覚め、
その通りに生きることを
これからも大切にしていきます。
まだまだ進化できる可能性を
自分自身に感じています。
先生が繋げてくれた愛を
もっともっと受け取って、
もっともっと多くの人に
届けていくからねー!!
本当に先生と出会えてよかったし、
またこうやって最高のタイミングで
繋がれていることが奇跡。
それをたっぷりと受け取っていくね!!
先生、教師になってくれてありがとう。
先生、僕に出会ってくれてありがとう。
先生が先生でいてくれてありがとう。
先生、先生の大切にしている
愛を届けてくれてありがとう。
感謝だけが溢れてくるよ。
ーーーーー
そしたら、
こう返ってきた。
ーーーーー
私はしばらく、
この喜びを味わっていました。
もう少し味わいます。
私が一番欲しかった喜びです。
寛くんがこの愛をさらに
進化させくれるのだと思うと、
私がこの地球に生まれた意図が叶いました。
ありがとう😊。
本当に最高のタイミングで、
繋がれていることが奇跡だと
私も思えます。
私もこの無上の喜びを、
まだしばらくこの体で、
感じさせていただきますね😊🙏🙏
寛くん^_^ありがとう😊
ーーーーー
これだけでわかる。
先生と大切にしてることが同じだと。
そして、
30年という時間がなかったことのように
繋がっているということを。
30年近く、
先生が僕に与えてくれていたことが
心の奥底に響いていたことを僕は、
気がついてなかった。
言葉を変えると、
先生が繋げてくれていた愛に、
気がつけていなかった。
でも、
自分なりに日々を大切に生きていたら、
今、やっと受け取ることができた。
やっと受け取れた。
奇跡だ。
誰の人生の中にも、
こんなことがたくさんあるのかもしれない。
僕の中にもまだたくさんあって、
誰かが繋げてくれた愛を
受け取るタイミングがまたくるだろう。
それを受け取る準備を自分ができた時に、
信じられない喜びとして、
それを受け取ることになるのだろう。
年末、年始と、
しびれるような喜びを感じる時間が本当に多い。
僕自身、
もっともっと受け取れるという可能性を知りながら、
また今日も目の前の人に自分のできる全てを
分かち合っていこうと思う。
長文、お読みいただき、本当にありがとうございます!!