私たちは、過去の体験や出来事に対して、他者や組織や社会に許せないと思っていることがある人もいれば、全てを許している人もいます。
その出来事や体験を許しているほうがその出来事に対して思考が引っ張られることもないので、本当に望むことにエネルギーを注ぐことはできるでしょう。
そして、今、過去のその出来事を全て許している人は、最初から許せたのでしょうか?
たぶん、そうではなかったと思います。
本当の意味で許すとは、そんなに簡単なことではありません。
許すためには、”許す”という言葉にあるいくつかの構成要素がどのようなもので、その許すプロセスがどのようなものなのかはとても重要です。
ただ、過去の出来事を許したほうがいいよといっても、「わかっているよ!」「でも、できないんだよ!」という気持ちになったりします。
その構成要素やプロセスを本当の意味でわかっているカウンセラーやコーチと出会い、人生を変えていく人もいれば、
絶対に許さないということを続けることで、ある出来事を発生させ、半ば強制的に自分と向き合わなければならなくなった人もいると思います。
私たちが本当の意味で、過去のその出来事を「ま、いっか!」になれる時、今より健康的で、幸福感や感謝や愛で満たされると思います。
許せない理由
「ま、いっか!」と思えないということは、自分の中に許せないものがあったり、絶対に守るべきというルールがあったり、強い執着がある時です。
その許せないものは、視点が狭くなっていたり、守るべきルールというのは、自分は守りたくないのに守ってきた自分を正当化したい時だったり、強い執着は大きな不安や無価値感などの欠乏感だったりが影響していることも多いです。
そこに気づけた時に、「ま、いっか!」と思えるかもしれません。
「ま、いっか」の背景の重要性とは
私たちがよく使う「ま、いっか!」。
福岡弁では、「まあ、よかろぅ」・・・どうでもいいですね。笑
この言葉自体は、良くも悪くもありません。
しかし、どういう意識でこの言葉を使っているかは、自分にとって非常に重要です。
「もうどうにもならない」という”諦め”として「ま、いっか!」と使っていると、
これは自分の意識の状態を無気力にさせてしまう傾向があります。
最近、全然やる気がしなくて、モチベーションもなくて、他人に怒る気力さえなくなっているという状態でないかは、確認したほうがいいかもしれません。
逆に、「他人はそういう意見でもいいよね」のように、自分のルールは持ちながらも相手を尊重できるスタンスで「ま、いっか!」を使用していたとしたら、そこには心地よささえ感じているかもしれません。
私たちが、日常で使っている「ま、いっか!」、その言葉の裏に自分のどんな心があるのかは客観的に眺めてみても面白いかもしれません。
いろいろなことに、「ま、いっか!」と思いたいのに、思えなくてモヤモヤしていたり、イライラしていたり、健康ではない状況になっていたとしたら、いつでもセッション承ります。
なぜ、カウンセリングで「ま、いっか!」な状態になれるのか?
なぜ、カウンセリングで、「ま、いっか!」と思えた先に、本当に自分のやりたいことが花ひらくのか?
それは体験した人にしかわからないかもしれません。
「何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。」
アルバート・アインシュタイン