数年前、私が幸せの真っ只中にいた時、嵐のように突然”ある出来事”が私を襲った。
その出来事は、一言でいうと、とても強い孤独を感じる出来事だった。
他人が聞くとそう大したことでもないかもしれない。
しかし、私の中では何かとても大きなものが崩れた瞬間だった。
なぜ、こんなにも苦しい現実を味わう必要があるのか、とても不思議だった。
そんな絶望の中、何度も何度も「自分は何のために生まれてきたのか?」と自分に問いかけ続けた。
その究極ともいえる問いを数ヶ月間、自分に投げかけ続けたある日、ぼんやりと光が見える感覚があった。
そして、そのぼんやりと見える光の照らされた道に進んでみた。
すると、私にこれまで味わったこともない新たな感覚が急速に芽生えていくのがわかった。
そして、「最高に幸せ」という状況にすぐに変化していった。
「このままいくと俺は一体どうなっちゃうの?ちょっと、ちょっと〜!!」と自分でも止められないジェットコースターに乗っているような感覚だった。
その最高な幸せを感じている時、私の置かれている環境は、強い孤独や絶望を味わった環境と実は何ひとつ変わっていなかった。
それなのに、なぜだか全く違う感覚だった。
そこではじめて「はっ」と、気がついた。
「幸せは環境が決めるのではなく、自分の心が決めるんだ!」と。
そして、その気づきを大切に、自分の心と向き合いながら、さらに学びを進めていった。
その学びを進めていく過程で、私は「この世界は自分で創造することが本当にできるんだ」という出来事をいくつも体験した。
中には簡単には信じてもらえないような体験もあった。
本当に自分でも信じられない出来事が起きている感覚だった。
だからこそ、自分の意識の中にあるものが、現実として良くも悪くも見させてくれているだけという概念を強く確信していった。
その概念で生きていく過程に、「結局自分しかいないなら孤独じゃん」と再び孤独を感じる時もあった。
しかし、その感覚がただの錯覚であったことにも気づいた。
そして、私たちは、本当は「今という瞬間の中すべてに完璧に満たされている存在であるということを体験するためにいろいろな現実を引き起こしているのかもしれない」と思うようになった。
そして、孤独なんかじゃない、私をこの世に誕生させてくれた両親もいる(父親はなくなっているが・・)、私をここまで連れてきてくれた大切な方々がいる、
そして、私にぼんやりと光を照らしてくれたのも「ある患者さんとの出会い」であり、私に大切なことを気づかせてくれたのも「人」である。
やっぱり私はひとりではない。孤独でもない。
ただそう思いたかっただけだったんだと気がついた。
そして、自分の意識が創り出しているように見える現実(自分しかいないという概念)も、自分の写し鏡のように見える世界(投影の世界)をもはるかに超えた世界があると確信した。
その葛藤のない自分になった時に、純粋な人としての他人が見えるし、自分の最高に思い描いた現実を見ている世界なのだろう。
その一部を今の私は垣間見ているに過ぎないのだろう。
その世界さえも自分の意図とは違う力も働いているし、多くの方の力を借りることになる。
だからやっぱり人は人に支えられている。
すべての不安や葛藤を超えた世界を私たちひとりひとりがすぐにでも創ると決めることもできる。
そこにはこれまで決めてきたルールも制約もないのに、調和した愛で満たされた世界が広がっているのかもしれない。
まだまだ私の心も現実の中から揺さぶられることがある。そして、その揺さぶられる出来事を楽しんでいる面もある。
ただ、同じ現象からもう二度と同じ感覚は味わえない。
瞬間瞬間、細胞は入れ替わり、意識も変化し、感覚も変化している。
だからこそ、今日もまた二度と帰ってこないかけがえのない1日である。
今という瞬間、今置かれている環境、そして目の前にいる大切な存在を大切にしながら生きていこうと思う。