価値基準の違いから見えてくる世界観
私たちは、それぞれが状況ごとに別々の価値基準を持っています。
食事に対する価値基準の例…
Aさんは、「手軽に自分が美味しいと思ったものを身体に取りいれる」という基準を持っているとします。
そんなAさんは、コンビニで美味しいジュースを買い、「お!これ美味しいな!」と毎日楽しんでいるかもしれません。
一方で、Bさんは「健康に良くないと言われている食べ物は摂取しない」という基準を持っていたとします。
そんなBさんは、コンビニでは、ジュースではなく、健康を害さない、お水しか買わないという徹底された行動を楽しんでいるかもしれません。
この例でもわかるように、「どちらが幸せなのか?どちらが正解なのか?」に対して、実は誰も答えを持っていません。
どちらも自分の価値基準に基づいた行動を自分が選択し、楽しんでいます。
あなたにとって、AさんとBさん、どちらが人生を楽しんでいると思いましたか?
私たちは、自分に近い価値基準で過ごしている人に対して、「楽しんでるね!!」と勝手に思い込み、基準から遠ければ「楽しくなさそう!!」と判断しています。
AさんもBさんも、同じくらい自分の人生を満喫しているのに、それを「楽しそう」とか「楽しそうではない」と勝手に判断しているのです。
その判断は自分の持っている価値基準でしかなく、本人の世界とは違います。そのことに気づいてみると、他者の行動に対する自分の判断も、他者から自分が判断されることにおいても、「人生を楽しむ」には、自分の価値基準のみが大事なことがわかるでしょう。
それが本当に健康に悪いのか?
「ストレスは体に悪い」という思い込みを持っている人は、「ストレスは体に必要なものだ」と思っている人より43%も死亡率が上昇するというアメリカの大学の研究データがあります。
つまり、ストレス自体が体に悪いものではなく、ストレスに対する意味付けこそが体を悪くしているかもしれません。
もし、ここでBさんがAさんに対して「そのジュースは健康に悪いんだよ!」という情報を伝えると、
Aさんは、「自分が摂取していたものは不健康なものだった」「自分は健康に悪い飲み物が好きだ」という思い込み、本当に不健康になっていくきっかけになってしまうこともあります。
確かに、多くのジュースの中には、「異性化糖」(遺伝子組換え、血糖上昇など様々な問題が指摘されている人工甘味料)が含有されています。
しかし、自分自身にとって飲みたいものを我慢し、自分の好きではないものを選択することが本当に健康にいいのかどうか、その成分が本当に問題をつくっているのかはわかりません。
わかるのは、自分が「どのような意味をそこにつけているのか」「どのようなことを信じているのか」ということだけです。
そして、それによって影響を受けているだけにすぎません。
自分の選択と他人の選択が違うのは
何が本当なのかわからないのがこの世界ならば、他者と自分との違いに気がつく時間を、自分を知るための機会にしてはいかがでしょうか?
自分の価値基準に基づいて、自分がその情報を良い悪いと判断しているだけならば、違う価値基準を持つ人に自分の思い込みを前提に良い悪いを伝え、従わせようとすることはどんな意味をもつのでしょうか?
例えば、「どうして私はAさんにこれ(健康情報)をわかってほしいと強く思ってしまったんだろうか?」「私はその裏に本当は何を望んでいるのだろうか?」という質問を自分に投げかけることによって、行動の背景にある意味づけや価値基準を知る機会にすることができます。
そうすると、「私は自分の価値を認めてほしかっただけだ」とか「私も自由に本当はジュースが好きなことを健康のために制限していたから羨ましかっただけだ」などという隠れた想いに気づくことができます。
健康情報の獲得そのものが、自分をわかってほしいという想いやその気持ちを抑圧する道具となっていることもあるかもしれません。
自分の隠れた想いに気がつくとき、自分の行動に対して、それとは違う選択もできることをその時初めて知ることができます。
そして、隠れた想いに気が付くとき、価値基準ごと変化しているかもしれません。その時、ものごとにつけている意味付けも変換されているでしょう。
あなたの価値基準を探り、新しい行動を選択していくお手伝いもカウンセリングではしています。
そして、あなたは、他人との違いに文句を言う人生を選びますか?それとも、自分の本当の想いを知るチャンスにし、充実した人生を選びますか?
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