ぶつかり合いはお互いの前提の違いから生まれる
例えば、私たちは、「コップを傾けると水がこぼれる」ということについて、他人と言い争うことがあるだろうか?
ほとんどの方が、体験によって「重力によって水がこぼれる」という前提を共有しているために、争いが起きることを日常では体験しない。
しかし、
「コップに水が入っていないかもしれないじゃないか!」
「地球じゃないところでは、結果が違う」
などと言い争うこともできる。
これは、「コップに水が入っていなかったら」という前提と、「コップに水が入っている」という前提のぶつかり合いであり、「地球」か「地球じゃない場所」という前提のぶつかり合いである。
私たちが普段何気なく言い争っていることは、ただのわかりあえない体験として生じているだけであり、
私たちの争いや不満は、このような形で生まれ、前提が相手との関係の中でただ違うだけなのかもしれない。
わかりあえないのではなく、脳内で創り上げられる映像(記憶)のそもそもの大前提が違うだけなのかもしれない。
そして、実は、「わかってほしい」「わかりあえない」の前提は、同じ材料でイメージが創られているという前提から起こるもの。
具体的には、「わかってほしい」と意見を強くぶつける裏には「わかってもらえない」が存在し、
「わかりあえない」と諦めたり、無視したりしてしまう裏にも、「わかってもらえない」が存在する。
そもそも「わかってほしい」、「分かり合えない」という部分ではなく、争いの奥にどんな材料があるのか、どんなイメージの違いがあるのかに視点をずらし、別の形で素直に表現してみてもいいのかもしれない。
前提次第で変化する
呼吸をしている友人に向かって、イライラするだろうか?
お箸を使える友人に向かって、イライラするだろうか?
文字が書ける友人に向かって、イライラするだろうか?
きっとイライラしないはずだ。
これは、当たり前に自分を含めて誰でもできるという前提があるからである。(実際はできない方もいる)
そして、「呼吸をしていること」、「お箸を使えること」、「文字が書けること」になにかの感情がわく場合、そこにはその感情がわく前提が隠れているということがわかるだろう。
前提次第で物事の捉え方が全く変わる。同じ状況でも、前提によって、感情の発生が違う。体験の仕方が変わる。そこから生まれる行動が変わる。
言いかえると、自分の選択している行動や、体験や感情によって、自分が持つ前提、自分の創り上げている材料がわかる。
(8月11日祝日に開催する「そろそろ、感情の先にある本当の自由を手に入れよっかな」というワークショップではは、感情の本質にせまる更に深〜い話と実際に感情に振り回されないある体験をするワークショップになっている)
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どのような前提を持つことを選ぶのか?
自分が体験していることは、自分のイメージを、どのような材料で創り上げているのかがわかるとこのようにも考えられる。
どのような前提を持てば、癌が消えるだろう?
どのような前提を持てば、認知症が認知症でなくなるだろう?
どのような前提で関われば、クライアントさんに最高の人生を生きてもらえるだろう?
その前提がはっきりしてれば、結果が伴い、少しずつ自信が確信に変化し、可能性は無限に拡大していくだけ。
そして、どのような前提を持っていれば、世界が平和になるだろうということも見えてくる。
世の中の出来事における意味づけや個人の考え方や生き方や自己表現において、正しいなんてことはひとつもないという前提だったらどうだろう?その前提ではなにを体験するのだろう?
世界を平和にする鍵は自分の中にしかない
過去に起きた出来事は最悪だったと認識していても、人生という長い括りでみると、あの出来事のおかげで・・となったりする。これは、自分の体験によって、持っている前提が自然と変化していったからである。
自分の中でも過去の出来事の意味づけや、考え方や、それによる生き方、自己表現の仕方が変化するのだから、他人も変化して当然であり、世の中が変化して当然だ。
そして、ある時、自分が変化しているから、世の中が変化していると気づく時がくる。
これは瞬間で変わっていたりする。
誰かのことを恐いと思っていたのに、ある前提が芽生えると、かわいいとか面白いになったりするから不思議だ。
そして、物事における自分の脳内の意味付けや前提が変化することで、感じる体験が瞬間的に変わることが本当の意味でわかるようになったりする。
私たちは、本当に自分のやりたいことを体験しているとしたら、幸福感などを感じ、最高に満たされた感覚になるだろう。
その本当の自分を自己表現する、本当の自分の生き方で生きている時、他人と争う感情が本当に芽生えるだろうか?
そして、自分の中にある最高な自分を表現できていない前提を知れば、そうなれるのに一体何にしばられてそれを表現できないのだろうか。
そして、自分の人生をそのような世界観から楽しんでいくことで、病気をやめることにつながり、最高の幸せになることにつながる。
世の中の人全員が、自分の中の最高の輝きを自由に表現していいという前提で、世界を見るとどんな世界が創られていくだろう。
世界を平和にする鍵はそれぞれの自分の心の中にしかないのかもしれない。