子どもの頃の私は、超ひょうきんでいつも周囲を笑わせていた。
しかし、ある時を境にスベった時の恥ずかしさが勝ってしまい、ぱったりと笑わせることをしなくなった。(仲良しの人には今でもするが・・)
それは高校時代に自分に自信がなかったからだ。
うまく学校に馴染めない自分がいたり、誰と弁当を食べようか・・など考えたりする自分もいた。
再び、子どもの頃の話に戻るが、ひょうきんな反面、極度の寂しがり屋でいじけて、わざと隠れたり、心配かけたりして注目を集めようとしたこともあった。
そして、小学校の時に登校拒否をしていたこともあるし、親の財布からお金を取ったこともあった。
友人を騙すことも騙されることも、約束を破ることも約束を破られることもあった。
友人にキレて目を青くさせるほど喧嘩することもあったし、他人からキレられることもあった。
生き物を傷つけることもあったし、他人の家にいたづらで泥だんごをぶつけることもあった。
ずいぶん前になるが、カウンセラーとしての仕事をはじめてしばらくたった頃、その時うまくいっていない出来事があり、その原因を探っていった。
すると、親に隠していた過去のいけないと考えていた行為を、親に未だに言えていないことに気がついた。
そこで母親に上記のようなことを含めて、「きっと怒られるだろう・・」「残念がられるだろう」と思われることを洗いざらい全て話した。
しかし、その時、母親は全てを受け止め、怒ることも注意することもなかった。
逆に「あなたがお金を財布からとっていたことは、知っていたよ!」と言い出した。
そこで私は「何で知っていたのに怒らなかったの?問い詰めなかったの?」と聞いた。
すると、「証拠がないし、万が一違ったらあなたをすごく傷つけると思ったから」と。
私の母親は心理学とか特に学んでいるわけではないが、「親が子どもを信じることがとても大切だという当たり前のルールを徹底していたのかもしれない」と思った。
そして、母親に全てを話せた私は、これでブラックひろしを吐き出す体験からの学びは終わりかと思っていた。
しかし、翌日、親戚のおじさん、おばさんと4人で食事する機会があった。
その時、母親がいきなり「ひろしがね、昨日こんなこといいだしたのよ!」と親戚の前で話しだした。
私は「なに?なに?何で今その話をわざわざ言うの?」と一瞬思ったが、
カウンセラー・コーチとして、母親は何を求めてこの話をこの場でしているのだろうか?と冷静に考える自分がいた。
その時、ハッと気づいた。
それは、「母親は過去のその私が隠していた体験に良い・悪いのジャッジをせずに、ただそのことを素直に話してくれたことが嬉しいから母親は話してるのかもしれない」という思いに気がついた。
そこからまた私の世界観がガラリと変化した。
私の中の隠したい過去を全部だしても受け止めてくれる人がいる。
その時の楽な気持ちは本当に言葉では言い表せない。
もしかしたら、こうやって人は過去を自分で許していき、自己信頼を高めていくのかもしれないと思った。
どんな過去の自分もただのネタ、今の自分も他人にどう思われるかではなく、ただ素直に出すだけという世界をどんどん広げていくことができたらどんなに自由な世界が広がるのだろうとワクワクした。
そして、私は今もその範囲を拡大していくことを楽しんでいる。
もしかしたら、私たちはただどんな自分も周囲に認めてほしくて、それが叶わない時に、我慢したり、諦めたり、怒ったりしているだけなのかもしれない。
そして、私たちがその先に本当に求めているものが、その奥にあることも知っているが、それはあえてここでは言葉にしない。
なぜなら、このことに自分でハッと気づいた時、更に大きなパラダイム転換が起きることも知っているから・・・